「右手は初見で演奏できるけど,左手は初見で演奏できない」とか,「右手ではトリルが弾けるけど左手ではトリルが弾けない」とか,皆さんにも右手ではできるけど左手ではできないことやあるいはその逆のことがあると思います。
今回は手の技術の差について考えてみます。
手の技術の差を感じるとき
ピアノを弾くと色々な曲を弾くと右手と左手の動きに差があるということを強く感じると思います。
例えば,バッハの曲を弾くとほとんどの曲で右手と左手が独立に,そして対等に動くことが必要になり,このあたりでピアノが嫌いになってしまうという人も多いと思います。
私も小さい頃はバッハの音楽がどういうものか分からないだけでなく,譜読みも大変で左手が思うように動かないのもあって苦手でした。
一方,ピアノには右手が多く動くものの左手は細かい動きがないという曲も多くあります。
ピアノが嫌いにならなかった人の多くは両手でピアノを弾いたときに右手が動くけど,左手があまり動かない曲から初めて徐々に弾けるという成功体験を積み重ねた人なのかもしれません。
なぜ両手で技術レベルが違うのか
両手の技術レベルが違うのは「利き手かそうでないか」というのが原因というのもありますが,もっと噛み砕いて考えてみると以下のものが考えられます。
- 練習したことがある音形のバリエーションが少ない
- 練習している回数が少ない
- 意識がいっていない
練習したことがある音形のバリエーションが少ない
以前,分散和音について記事にしていますが,分散和音は右手よりも左手の方が動かしやすいという人もいるかと思います。
次の内容にも重なってきますが,これは右手で分散和音をあまり練習したことがないことが原因かもしれません。
左手の細かいメロディックな動きがあまり得意ではないという人は過去に弾いたことがある音形のバリエーションが右手よりも少ないのではないでしょうか。
左手の練習曲を弾くだけでなく右手のメロディを左手で弾いてみると,右手ではできるのに左手では同じように弾けないことが多々あります。
そもそも手の形が対称だからという問題ではなく,ピアノの技術の理想である「両手を自由に動かす」という技術を身につけるためにはあらゆる音形について自由に,そして思ったように指を動かせることが大切だと思います。
そもそも練習している回数が少ない
皆さんは片手ずつ練習するという時に,右手と左手のそれぞれの練習回数はどう設定しているでしょうか。
あまり片手ずつでは練習しないよ,という方もいるかもしれませんが,ピアノがちゃんと弾ける方は苦手な手を多く弾いて,得意な方(できている方)は少なくということを自然とやっているのではないかと思います。
しかし,頭では分かっているものの「思った通りに弾けない」というのはストレスがかかるので,片手ずつの練習をすると「弾けている右手の練習が多くなる」や「片手ずつで完璧に弾けてないけどすぐに両手で弾いてしまう」という人も多いのではないでしょうか。
楽譜の譜読みを始めるときに左手の伴奏から弾き始めるという人はとても珍しいと思いますが,もし片手ずつ弾くとしたらほとんどの人がメロディの方から弾くのではないでしょうか。
それくらい右手から練習するという人が多く,右利きの人は左手で弾いている練習回数がそもそも少なくなっていると思います。
両手に意識がいっていない
ピアノは10本の指を自在にコントロールして曲を演奏していきますが,弾いているときに弾いていない指の状態を含めて両手の指の状態を意識しているという人はどのくらいいらっしゃるでしょうか。
多くの人は「手」の意識はしているものの「10本の指の1本ずつ」まで意識している人は少ないと思います。
もっと言えば,「手」も両手ではなく「片手の動き」を意識していることが多いのではないでしょうか。
もっともっと言えば,細かいメロディの動きを意識するものの,簡単な伴奏についてはあまり意識していないということが多いかもしれません。(本来はない方が良いと思いますが,私もよくやってしまっています…)
また,片手で弾いていて弾けるのに両手にすると弾けなくなるという人は,意識を片手に集中することができなくなることが原因と考えられます。
両手で弾いたときに両手の10本の指を意識した練習ができていれば意識の偏りはなくなりますが,こうしたことはかなり難しいので,初心者のうちは特に弾いているときの意識の偏りが指の動きにも影響を与えると思います。
まとめ
今回はどうして両手が同じレベルにはなっていないのかということを記事にしてみました。
苦手な手を集中的に練習することは忍耐も必要ですし,成功体験を簡単に得ることができないのでなかなか実行している人は少ないと思います。
しかし,できないことができるようになれば必ず上手くなりますので両手の技術レベルを向上させて自分の弾きたい曲を自由に弾けるように練習していけると良いのではないかと思っています。
ゆきふり